1/29/2011

Move to my own blog site

ここ何日かで、また自分のサーバにWordPressを再インストールして、三つあったブログを一つにまとめてみた。 まだつめてないところがたくさんあるけど、まあそれなりにすっきりしたかんじ。

ということで、三つのブログの過去も全部まとめてブログのお引越し!

新しい住所は

お近くにお越しの節はぜひお立ち寄りください!

 

1/25/2011

Move into new world

I try to install WordPress to my server. This is second third try for me. May be I don't need to have my own blog into my server. May be it will be OK to use Blogger for my blog another 100 years.....
But as you know, I am a old-type. even though this is digital matter, still feel conferable to see in MY OWN SERVER!!!  i know, i can't ride smoothly on crowd internet world....

Anyway, After set up new blog,, my all blog, this one,  cooking etc recipe and book reading will move to new address. 

1/11/2011

報告書『持続可能? 責任ある? GM(遺伝子組み換え)大豆』

掲載:日刊ベリタ 2011年01月06日09時05分掲載 


翻訳: 金克美(KIM Keukmi)/TUP

国際的な科学者のグループは、遺伝子組み換えラウンドアップレディー大豆(訳注、除草剤ラウンドアップに耐える大豆)の栽培とグリホサート除草剤の使用による健康と環境への危険を詳述した報告書を発表した。

報告書『 持続可能? 責任ある? GM大豆』[1]は、アルゼンチン政府の科学者、アンドレス・カラスコ教授[2]による新しい研究に注目した。彼はグリホサートが農業散布で使われるよりもかなり少ない投与でカエルとニワトリ胚の奇形の原因になることを発見している。

「実験室での実験で、妊娠中にグリホサートにさらされた幼児の奇形のケースと一致するデータが得られた」とカラスコ氏は述べた。

ブエノスアイレス医科大学分子発生学研究室のディレクターであり、アルゼンチンの科学技術研究所(CONICET)国民評議会の主任研究員であるカラスコ氏は新しい報告の共著者である。この報告書はGM大豆の栽培によって生活が根本的に破壊されているアルゼンチン村民の証言と共に発表される[3]。

アルゼンチンとパラグアイでは、GM大豆の産地に住んでいる医師や住民がグリホサートの散布により、不妊、死産、流産、癌のみならず、高い出生異常を含む深刻な健康への影響を訴えている。新しいレポートで集められた科学的研究によって、グリホサートに曝されることと、早産、流産、癌、DNAおよび生殖器官の細胞にダメージを与えることとが関連していることが確認された。

アルゼンチンの大豆生産地の住民は、GMラウンドアップレディー大豆の最初の本格的収穫から2年後の2002年から問題を報告し始めたと、カラスコ教授はいう。「私はグリホサートの毒性分類が低すぎることを疑い、……いくつかのケースでは、これは強力な毒になると思われる」と述べた。

住民はまた農作物への被害や小川に散らばる死んだ魚など、グリホサートによる環境被害のケースを報告している。これらの事象はグリホサートが環境に有害であることを示すこの報告書の研究によって裏付けされている。

アルゼンチンのGM大豆農業モデルに反対する科学者や人びとは検閲や嫌がらせ受けている。アムネスティ・インターナショナルは、2010年8月に農村ラ・レオネサで彼の研究の話を聞きに集まった人々を襲った組織的暴力団による暴力的攻撃についての調査を要求している。

「責任ある」大豆?

報告書『 持続可能? 責任ある? GM大豆』は、GM大豆栽培が持続可能であり、除草剤グリホサートが安全だという企業側の主張に挑戦する。「責任ある大豆の円卓会議(RTRS: the Round Table on Responsible Soy)という大豆に関わる他分野の関係者(ステークホルダー)による大豆栽培についてのフォーラムが 2011年に開かれるが、同会議は大豆が人びとと環境に考慮して生産されていると良心的大豆流通業者や消費者を安心させる「責任ある」大豆ラベルを自主的に開始する[4]。つまり、グリフォサート散布した遺伝子組み換え大豆を「責任ある大豆」としてラベル表示するというのだ[5]。

RTRSメンバーにはADM、ブンゲ、カーギル、モンサント、シンジェンタ、シェル、BP社などの多国籍企業と、WWFとSolidaridadなどのNGOが含まれる。

遺伝子組換え食品と作物に反対する運動をしているグループ、GMWatchのクレア・ロビンソンは「グリホサート農業モデルで作られたGM大豆を持続可能で責任のあると呼ぶことは悲惨な茶番劇である」と述べる。

「RTRS基準は、新レポートに示されている遺伝子組み換え大豆とグリホサートの健康への危険から人々を守ることができない脆弱なものです[6][7]。」

「RTRSはまた、GM大豆の単一栽培(モノカルチャー)による深刻な社会問題を無視しています。以前は人びとの食糧を栽培していた土地が、有毒なGM大豆の単一栽培に明け渡され、暮らしと食糧安全保障は失われました。」

「200を超える市民社会組織は、企業のグリーンウォッシュ[訳注:環境保護に配慮するふりをすること]だとしてRTRS基準を非難しています[8]。いまやRTRSの責任あるメンバーがこの信用を失ったRTRS基準を放棄する時です」

ヨーロッパには年間に3800万トンの大豆が動物の飼料として輸入されている[9]。 GMを給餌された動物から作った食品でも、GM食品のラベルをつける必要はない。

EUで大豆に許容されるグリホサートの最大残留基準値は20 mg/kgである。カラスコ教授はその約10倍低い2.03 mg/kgのグリホサートを注入した胚に奇形を発見した[10]。大豆には17mg/kgまでの濃度でグリホサートが残留していることが判明している[11]。

オリジナル英文:



この報告書は英語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語、中国語で読むことができる。上記のページからたどることができる。

出典・注
1. Antoniou, M., Brack, P., Carrasco, A., Fagan, J., Habib, M., Kageyama, P., Leifert, C., Nodari, R., Pengue, W. 2010. GM Soy: Sustainable? Responsible? GLS Gemeinschaftsbank and ARGE Gentechnik-frei. Download from:

2. Paganelli, A., Gnazzo, V., Acosta, H., Lopez, S.L., Carrasco, A.E. 2010. Glyphosate-based herbicides produce teratogenic effects on vertebrates by impairing retinoic acid signalling. Chem. Res. Toxicol., August 9.

3. Interviews in English and Spanish and photographs available here:

4. Marks & Spencer. Tackling deforestation.

5. The RTRS Standard can be downloaded from the RTRS website, GM soy is treated the same as non-GM ? see p.i.

6. La Soja Mata (Soy Kills). Against “Responsible” GM soy: reply to Solidaridad, WWF.

7. GM Freeze. Thirteen Reasons Why the Roundtable On Responsible Soy Will Not Provide Responsible or Sustainable Soya Bean Production. May 2010.

8. La Soja Mata (Soy Kills). Statements against the 3rd RoundTable on Responsible Soy.

9. Cert ID. Cert ID Certified ‘Non-GMO’ Soy Meal and Other Soy Products: Volumes Available from South America. Porto Alegre, Brazil, July 14, 2008.

10. FAO. Pesticide residues in food ? 1997: Report. Report of the Joint Meeting of the FAO Panel of Experts on Pesticide Residues in Food and the Environment and the WHO Core Assessment Group on Pesticide Residues. Lyons, France, 22 September ? 1 October 1997.

11. FAO. 2005. Pesticide residues in food ? 2005. Report of the Joint Meeting of the FAO Panel of Experts on Pesticide Residues in Food and the Environment and the WHO Core Assessment Group on Pesticide Residues, Geneva, Switzerland, 20?29 September. FAO Plant Production and Protection Paper 183, 7.
About the authors and publishers of GM Soy: Sustainable? Responsible?

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オリジナル(英文):

GMWatchは英国を本拠にした遺伝子組み換え問題に取り組むNGO

12/28/2010

Chrismthday

 今年も妹のところでパーティをした。子どもたちもプレゼントを楽しみにしてるし、妹の友だちたちと会えるのも楽しみやったけど、なんと当日は大雪。

ご飯ものと野菜担当やったけど、今日は無理かなぁーと思ってたら「行くのやったら早くいって早く帰らんな、戻ってこれへんなるで」と、なんかサムは行く気のよう。

ご飯もので、ピビンバ(クリスマスらしくないけど)の用意をたくさん仕込んでたから、もったいないしというのもあって、出かけてみた。


まあ、この雪のなかやから、だれもきいひんかもねえ、と思ってたらなんと声かけてた人はみな集合して、まあ楽しい集まりになったけど。。。

サムと私とハルは、もう限界やろーと8時ごろには引き上げたんやけど、まあ雪がたいへん。視界はまっしろ、どうにもこうにも。。。

大きな通りやと大丈夫かも、と思ってたら、サンライズハイウェイの大通りまで差し掛かると、信号待ちしてたら、サニタリーデパートメントのでっかい除雪トラックが4台!!! 大通りの雪をわきに積み上げながら行進していくわけ。 もう、信号待ちしてた私らの車のまえに、みるみる雪の壁ができ、ハイウェイに続いている小道ににはもう入れなくなって、ぼーぜん。

いや、横の大通りの雪をつみあげて、たての通りをブロックしちゃったんやから、すぐにたての通りも雪かきトラックがやってくるでしょう、、と思ってた私はまだアメリカを知らなかった。。。

なんとかサンライズハイウェイにでて、入れそうな道をみつけたものの、ブリザードでまっしろ。。。それでもとろとろハイウェイへの道をみつけて、なんとかハイウェイにはいったけど、もうあちこちで車が雪に埋まっちゃってて、でられなくなってる。

こんなん、もしでられへんなったら、どうやってかえるんやろう、、、とみるみる凍りつくフロントガラスの粉雪と格闘しながら不安に思ってたのに、ふと後ろ見ると後部座席ではハルがごろーんと横になって、ゲームに夢中なわけよ。こっちは必死になんとか帰り着こうとしてるのに、さすがプリンセス、と、サムにからかわれてたけど、、ほんまにヒンシュクもんよ。

途中、雪から抜け出そうとバックしてくる車に間一髪でぶつからずに済んだり、またサニタリーの車に目の前で雪の壁をつくられたりしながら、なんとかなんとかブロンクスまで戻ってきて、218thの角にたどりつたときはサムと二人、安堵のため息がでたくらい。 だけど、うちの前まではとうとうたどり着けず。。。なぜかって? うちの斜め前の家で急病人がでたらしく、救急車がきてたのやけど、その救急車が今度は雪ででられなくなって、道路をさえぎってしまってたのでした。。

写真は翌日に二階から撮ったもの。救急車はその後二日もそのまま。 そうそう、パーティにきてた皆も、結局電車も走らなくて、その後二日、妹んちでかんづめになって、クリスマスパーティは3日にわたって繰り広げられていたとか。。。 いやー、もう雪、当分いいです。

12/27/2010

watchman state


こっちにきて、身近に軍関係者の人が多いのに驚いた。

身内だけでも、サムの弟も空軍で空中給油やってる人だし、甥っ子も空軍。
妹のお舅さんは陸軍のベテランで、隣の家の人は息子さんが海兵隊。
おまけに妹の元だんなは軍需下請け企業に雇われてアフガンに基地建設にいってます。

移民手続きには必ず軍に入隊を希望するかどうかという質問があり、失業対策で補助がでる雇用には入隊希望が条件になるところもありました。
ニューヨークは観光都市なので、ストリートベンダーが多いのですが、ベンダーの許可証も(いまは)ベテランに限られているみたい。
おまけに最近は退役者には、ウォールマートに優先的に就職できるみたいなことまで現実になってきました。

教育補助は削られ、年金システムや医療補助も、日本の制度からみれば、なにこれ??って思う程度しかなく、社会福祉制度を提唱する政治家は社会主義者だとレッテルをはられます。

本当にアメリカの自由主義というのは、『夜警国家』が礎になっているんだなぁとしみじみと感じるところです。

そんななか、先のサンクスギビングにロスからやってきていたサムの弟に『冬の兵士』の話をしたところ、非常に興味をもってくれた。自分の友人たちにも読むことを薦めてるそうな。

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先日、インターネットで『坂の上の雲』の第二部がはじまったのを観た。
原作以上に、日本海軍、陸軍の華々しく扱ったドラマになっているように感じた。
ネトウヨたちがさもよろこんで、自分がさもモックンになったような錯覚で身もだえしてみているのじゃないかしらんと、想像しました。

二部の一話で、モックンが英国の海軍に招かれた宴の席で、日本のことを馬鹿にする英海軍士官たちに「きりっ」と「日本は外国の侵略を許さない」とのたまうのですが、自分には許さないけど、自分はやっていいのね、、としらけた気持ちでみてましたが、こういうところもネトウヨにはたまらないのでしょうね。

そういうところで感化された若い子たちが、自衛隊に志願していくのがこれから増えるのじゃないかしらと妄想はふくらみ、そうすると『冬の兵士』の日本語版は、これからますます重要な本になってくるなぁと思い巡らすのでした

12/21/2010

ハイチ、拡大するコレラ被害に国連軍の出国要請


天災につづく人災、コレラ感染被害に苦しむ市民の怒り

12月6日、ハイチ保健省の発表によるとコレラの犠牲者は2000人を超え、感染 者は92000人近くにのぼり、いっこうに感染の拡大が収まる気配がみえません。
大地震以後、多くの国からの援助にもかかわらず首都のポルトープランスには いまだ130万人がテント暮らしを余儀なくされています。いったい何故この地の 衛生管理がここまで機能しないのか。なぜ基幹設備がいつまでも整わないのか。 これは「貧しい国」だから仕方のないことなのでしょうか?
現地を基軸に活動する著者が英国ガーディアン紙に発表した記事を紹介します。
前書きと翻訳:金克美(KIM Keukmi)/TUP

困窮するハイチの人々が国連軍を追い出したい理由

ハイチの危機は数十年の経済的搾取とヒモ付き援助の結果――市民の怒りは当然
イザボー・ドゥセ 英国ガーディアン紙 2010年11月18日
今や国家非常事態となったコレラ流行を食い止める努力が、ハリケーンに よって妨げられた後、ハイチでここ数日起きている市民暴動について耳に しているかもしれない。こういったすべては、酷くけなされがちなこの国 のイメージ、つまり圧倒的な貧困、蔓延する汚職、そして、暴力の脅威が 絶え間ないためハイチ人が互いを引きちぎらないようにするには国際平和 維持軍が必要なのだといったイメージにぴったりくるかもしれない。
そう、貧困と汚職は本当のことかもしれない。しかし、この木曜日には、 ミヌスタ[*1]として知られる国連軍の出国を求めるデモンストレーション[*2] が、学生、草の根組織、選挙からしめだされた反対派、そして最も重要な こととして、ハイチで拡大する悪夢をただちに終わらせるという共通の理 由で団結した市民によって、ハイチの首都ポルトープランス全域で行われ ようとしている。
[*1]MINUSTAH:国連ハイチ安定化ミッション。フランス語で Mission des Nations Unies pour la stabilisation en Haitiの頭字語。
[*2]デモのビデオ http://www.youtube.com/watch?v=wqqlFA1BaMo&feature=player_embedded

公共投資があまりに欠如しているために衛生基幹設備といえばゴミと人 間の排泄物でいっぱいにあふれた開放型下水道しかない、たくさんの地 域では、コレラの大流行で死亡者が急上昇し1000人を超えてから、住民 の間に恐怖が根をおろしている。

地震の前にこの国に流れ込んだ数十億ドルという国際援助にもかかわら ず、こういった地域は、ハイチのどの都市や町でも見ることができる。 10カ月経ち、さらなる数十億ドルが加わった後にも状況はずっと悪化し、 沈黙の中で耐えてきた市民も、選挙をわずか二週間後に控え、もうたく さんだということになったのだろう。

「防水シートの下で生活している間は、選挙を拒否する」などのシュプ レヒコールは「国連平和維持部隊とコレラは兄弟」に置き換わっている。 違いは、いまや各地でシュプレヒコールは、炎上した車、炎を上げたタ イヤ、ガラスの破片に伴なわれ、コレラの犠牲者の棺が通行を妨げ、 援助関係者は作業の中断を余儀なくされ、人々が路上で死ぬにまかされ ているということである。

国連軍ネパール部隊がコレラに感染した糞便をアルティボニト川に投棄 したと多くの人が非難し、いまやすべての国連軍の出国を要求する声が 高まっている。当局は抗議について、選挙日程を混乱させる政治的な試 みであると主張し、コレラ災害にもかかわらず選挙を断行しようとして いる。投票が最終的に延期される場合、もし最終的にそうなった場合、 国際的なメディアは、ハイチ人は民主主義には向かない、いまだにデュ バリエ独裁から逃れられない、または民意を組織し表明するにはあまり にも深く無政府状態に侵されている、と片付けるに違いない。

これはお馴染みのパターンだ。1980年代にエイズがはじめて世界の注目 を集めたとき、ハイチ人は4つのH[*3]、すなわちHomosexuals(同性愛 者)、Hemophiliacs(血友病)、Heroin users(ヘロイン使用者)そし てHaitian(ハイチ人)の一つとして、米国に病気を持ち込むものと烙印 を押されたものだった。だがコレラと同じで、エイズはハイチに固有の ものではないし、誰かが持ち込んだおかげで現在被害がでているだけだ。 ハイチ人がまたもや近隣諸国から烙印を押されているが、非難は世界が 受けなければならない。

[*3]4Hについてさらに詳しい記事(英文)は After the Quake: HIV/AIDS in Haiti (地震の後/ハイチのHIV/AIDS[仮訳])

本当の問題は、なぜ?ということだ。なぜ、壊滅的に貧困なのか? なぜ、水が、衛生や医療の基幹設備がないのか?

10年前、欠陥のある水道設備のために資金が用意されていた。2000年に、 米州開発銀行(IDB)から 5400万ドル(3400万ポンド)[当時の1ドルを103円 とすると、約55兆円]によって、都市部と農村部両方の水道設備を修復する ための資金がハイチ政府に融資されるはずだったのに、それは、民主的に 選出されたアリスティド政権を動揺させる米国外交政策の目的に都合の悪 いものだった。情報筋(*原注)が示唆するところでは、米政府は、水道設備 投資に加えて健康、教育、衛生基幹設備への投資もあわせて合計で1億4600万 ドルにのぼる IDBの融資について、選挙の諍いが続く間の凍結を求めた、 とされている。しかも、選挙問題が解決した後も援助は引続き凍結された ままだった。2002年の英国のある研究によれば、ハイチの水事情は世界で も最悪と評価されている。

(*原注) Who removed Aristide? (アリスティドを引きずり下ろしたのは誰だ?[仮訳])

ミヌスタの便所に独立機関の調査を入れるべきである。とはいえ、同様の ことはどこで起こってもおかしくなかった。ハイチへの国際的な政策は数 十年も変化がないのでコレラが蔓延する条件は満たされていた。経済的搾 取、政治的介入、NGOのひも付き援助、メディアの偽伝、同じ過ちが何度も 何度も行われている。残念なことに、大地震もこれらを変えるにはいたら なかったようだ。加熱する抗議行動でハイチの人々が怒りを表しているこ とは驚くにはあたらない。

(c) Isabeau Doucet/Guardian News & Media Ltd 2010

イザボー・ドゥセは、ハイチのポルトープランスに拠点を置くジャーナリ ストです。彼女は、ハイチリベルテ、CSモニターでキャンプと復興プロセ スの状況について書いており、アルジャジーラのプロデュースをしていま す。ロンドン大学ゴールドスミスの人類学の大学院生です。

◎ガーディアン紙の厚意により、翻訳配布許可を取得しています。

Article printed from guardian.co.uk
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/nov/18/haiti-crisis-un-troops

原文: Published on Thursday, November 18, 2010 by The Guardian/UK Why Desperate Haitians Want to Kick Out UN Troops The crisis in Haiti follows decades of economic exploitation and gifts with chains attached - no wonder its citizens are angry
by Isabeau Doucet
www.CommonDreams.org
URL to article: http://www.commondreams.org/view/2010/11/18-12

11/24/2010

Family reunion

 いやいや、こんなことって本当にあるんやなぁ。

サムは7人兄弟の6番目で、一番下に弟がいる。上の姉、兄たちとサムはお父さんが違うのだけど、サムと弟のパトリックがハーパーさんという同じお父さんを持つ。

ところがこのハーパーさん、パトリックが生まれて一歳にならないころに別の女の人と暮らし始めたらしい。それでママのもとを離れたのだけど、サムが7歳、パトリックが8ヶ月くらいのころ、ママのいないときにやってきてサムとパトリックを連れて帰ってしまった。トリダードでの出来事なんやけど、距離にしたらブロンクスの家からハーレムの125丁目あたりくらい、京都で考えると岩倉から桂あたりになるんかなぁ、当時7歳のサムにしてみたらその距離はもう国境の外くらいの感じやなかったんやろうか。

お父さんのところに連れてこられたサムは、暗くなっても帰ってこない自分とパトリックをママがどれだけ探してるだろうか、ママのところに帰らないといけない、、ということで頭の中はいっぱいだったらしい。家までの道をどうやって探すかとか、そんなことを考えてる余裕もなく、家人がいないすきをみはからって、抜き足差し足で家からドライブウェイを通り抜けようとしたとき、家の中から8ヶ月のパトリックの火のついたような泣き声が聞こえてきて、そして振り返ったのね。

ものすごく葛藤したらしい。赤ちゃんのパトリックをどうやって連れて帰ったらいいのか、家までの道もわからないし、ミルクやおむつもどうしたらいいのかわからない。ママはパトリックをつれて帰らなかった自分を怒るだろうけれど、とりあえずは自分だけでもママのところに帰らないと、、と。


通りをでて、お父さんの家を振り返って、「お父さんのところに戻るのなら今しかない、ママのところに帰るのも今しかない」という思いがよぎったことを、今でも鮮明に覚えている、と言ってた。

ママのところまで、どうやってたどり着いたのかわからないけれど、街なかを7歳の男の子が泣きながら歩いているのを、知り合いがみつけたらしくて、ママのところまでつれて帰ってくれたそうだ。

そうやって弟と別れて、50年以上がすぎた。

サムが30歳をすぎたころ、お父さんのハーパーさんも、トリニダードからアメリカに来て、ニュージャージにいることを聞いて、小さかった娘を連れてたずねたことがあったらしい。2番目の娘のエリカが生まれたあとって言ってたから、25年ほど前のことかなぁ。30歳を超えた息子が孫をつれて突然目の前に現れたことに、ハーパーさんはショック状態だったらしく、口をついて出てきた言葉が「W,,What do you want!」だったんだって。

お父さんの言葉にひどく落胆したサムは、それ以来、お父さんを探そうともしなかったし、会いにいこうとしなかったけど、パトリックのことはいつも気がかりだった。赤ちゃんだった弟を置いて、自分だけがママのところに戻ってきたことが、いつも心の隅っこに、罪悪感というラベルがついて根をおろしていたみたいで、私と二人のとき、家族のことが話題になるといつもパトリックのことを話してくれていた。

今年の3月に脳梗塞で倒れたママは、ニューヨークに戻ってきてから、なぜか確信めいた口調で「Before I drop dead, I'm gonna see my Patrick」と言っていた。

それがなんと、本当のことになった!!!

今月に入って、トリニダードにいるサムの姪っ子のシェリルから連絡があって、パトリックを見つけたというのだ。それもなんと、Facebookで!

パトリックと同じ学校に通っていたシェリルは、彼が自分の叔父さんにあたるということをなんとなく知っていたらしい。どういう経緯なのかわからないけど、Facebook上で昔の友だちをたどっていたところ、パトリックに行き当たったらしい。それで、いろいろと尋ねてみて、それが自分の2歳違いの叔父さんだということがわかって、パトリックもシェリルといろいろと話して、ママやサムがいまでも自分のことを会いたいと探していたことを知ったのだ。

今はロサンジェルスに住んでいる彼は、さっそくこのサンクスギビングのホリデーにニューヨークにやってきた。驚くことにサムのお父さんも、今93歳で健在、ニュージャージで不動産業を現役で営んでいる。余談だけど、93歳のハーパーさんは奥さんと別に彼女が二人もいて、別々に住まわせているのだそう。いやあ、遺伝子はしっかりと受け継がれてますなぁ、と感心したもんです。

ということで昨夜は、ニュージャージのサムのお姉さんのシンシアの家で、家族の再会となったわけです。

ママにはパトリックのことを話していたのだけど、記憶がはっきりしているときと、どっかにいっちゃうときがあるので、いまいち、昨日がパトリックが来ている日だということは、ママのなかでははっきりしていなかったみたい。

赤ちゃんのときに手放さざるを得なかったパトリックと、昨日、会うことができて、目の前にたっているのが、末息子のパトリックだとわかったとき、ママの顔が、ほんとに文字通り、ぱっと明るくなった。

パトリックとの再会に、その場にいた皆の気持ちは嬉しさがいっぱいで、ぜんぜん湿っぽいものにはならなかった。パトリックの人柄もあるのだろう。赤ん坊のときに離れたとは思えないくらい、再会のその瞬間から彼は家族の一員だった。

私も一目パトリックをみた瞬間、彼の目というのか、皮膚というのか、そういうのがサムと同じものを持っているのがわかった。姿かたちが似てるとか似てないとかじゃなくて、「あ、これは同じもんだ」と伝わってきた。

これと同じ感覚を味わったことがあったこともついでによみがえってきた。
25ほど年前、ハンメの弟がまだ健在だということがわかって、彼が死ぬ前に日本にいる家族に会いたいと連絡がはいり、父が空港まで迎えにいったとき、会ったことも無いその大叔父さんのことがわかるかなぁと心配していたけど、その大叔父さんゲートから出てきた瞬間、「あ、ハンメや!」って伝わってきたこと。あの感覚は「伝わってくる」としか言い表しようが無かった。

ほんと、世の中、いろんなことが起こるもんです。